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嗚呼、泥沼回顧録

其の壱百四拾伍 ~愉快、従兄弟会~

山田晃士 ~愉快、従兄弟会~
私の両親は共に四人兄弟。だから私には従兄弟が大勢いる。
父は長男で、祖父母と一緒に生活していたので、親族が集まるのは往々にして母屋である我家。
クリスマス・新年・夏休み・連休。年柄年中賑やかな山田家であった。

幼き頃、従兄弟達が集まれば本当に愉快だった。
でもちょっと複雑な想い出もある。

ある時、従兄弟の誰かが【暗闇鬼ごっこ】をやろう、と言い出した。
家中の灯りを消して、真っ暗闇で鬼ごっこをするのである。
みんなは“いいね、やろうやろう!面白そう!”とノリノリ、だけど私は嫌だった。
暗闇が本当に怖かったのだ。
従兄弟達のはしゃぎ声と走り廻る足音が闇を切り裂く。
私はただじっとしていた。動けなかった。階段の途中で固まっていた。早く捕まえて欲しかった。
でも皮肉にも【暗闇鬼ごっこ】では、じっとしているとなかなか捕まらないのだ。
ちっとも愉しくない、それどころか恐怖を耐え忍ばなければならない。
【暗闇鬼ごっこ】は人気を博し、その後二年間に渡り頻繁に催された。
みんな本当に怖くなかったのかな…。

ある時、子供達でボクシング大会をやろう、という事になった。
両手にグローブ代わりのタオルを厚く巻き、ボディーには座布団を紐でくくりつけ完全防備、
顔はぶっちゃいけません、さあ、試合開始!とトーナメント戦が始まった。
従兄弟達の中でも背の大きい方だった私は順調に勝ち進み、準決勝。
一つ年上のリュウちゃんとの試合だ。互いのボディーブローが座布団に炸裂!
合い打ちになったその瞬間、肘に痛みが走った。
“あれ?なんかオカシイぞ”片腕がプラーンとなり動かない。ん!?これは一体…。
何と関節が外れてしまったのだ。
父の車に乗せられて近くの整骨院へ。
地元の名医である渡辺先生が私の腕を掴み“フンッ”と一押し、
ゴキッと音を立てて私の関節がハマった。びっくりした。ちょっと痛かった。
人間の体ってまるで人形みたいだなあ…。

あれから四十年余り。
まるで逢わなくなってしまった従兄弟もいる。
雲の上へ旅立った従兄弟もいる。

幼き頃、従兄弟達が集まれば本当に愉快だった。

其の壱百四拾四 ~2DAYS2TIMES~

山田晃士 ~2DAYS2TIMES~
Photo by mii

同じ会場で2日間続けて公演を打つ、所謂2DAYS。
先月は『流浪祭り』と銘打って、吉祥寺 STAR PINE'S CAFEで、
今月はチャラン・ポ・ランタンpresents『つがいの悲喜劇』『互いの悲喜劇』にお招き頂き、青山円形劇場で、
それぞれ2DAYS公演を行った。

2DAYSでは楽屋のセッティングが大事。
両日の舞台の準備を如何に効率的に行えるか、その状況を創り上げる事に精を出す。
1日目に着る衣装、2日目に着る衣装を分かりやすくハンガーにかけ、
メイク道具を使いやすく配置し、
各日の舞台進行と演奏内容を確認できるファイルや、MCのメモ書き、筆記用具を机の上に出し、
楽器、チューニングメーター、小道具、等々を舞台裏にスタンバイさせる。

2日間に渡り私の棲家と化す楽屋。
舞台と同じくらい重要な場所だ。

嬉しいのは、初日が終わってそのまま帰れる時。
その殆どを楽屋に置き去りにできる。
又明日ね、とちょっとした“私の部屋”の気分なのだ。

嬉しいのは、楽日に少ない荷物で楽屋入りした時。
既にセッティングされた楽屋に“ただいま”な気分なのだ。

2日目はサウンドチェックに関しても、基本的には前日にバランスが取れている為、微調整で済む事が多い。リラックスした中で舞台の準備を進める事が出来る。

終演後、全ての荷物を搬出し、楽屋を後にする時、たかだか2日間でも愛着の湧いている空間に、別れを惜しむガレージシャンソン歌手なのであった。

いにしえの日生劇場で1カ月にも渡るロングラン公演を定期的に行っていた越路吹雪さんの楽屋ってどんなだったんだろう。

楽屋の風景はその人を表す気がする。

其の壱百四拾参 ~どこにでもある街角~

山田晃士 ~どこにでもある街角~
旅巡業で全国を廻る。
日本全国津々浦々、いろんな所に出向いている訳だが、
それぞれの土地について、私はまるで詳しくない。
ツアー中に観光はしない。
OFF日がない限り、時間的にも体力的にも難しい。
つまり旅巡業とは、車に乗り込み、ナビゲーションで次の公演会場を検索し、
高速道路をひた走り、会場に着き、リハーサル~本番、終演後のささやかな宴、
そして安宿で眠る、その繰り返しなのだ。

だから、私にとってその土地とは、唄う店の事であり、そこのスタッフであり、
関係者であり、共演者を指すのである。
“地名”よりも、その“会場”へ行き、そこの“人”に逢う意味合いが大きいのである。

そして、その会場を中心に、徒歩2~3分界隈が私の“馴染み”となる。
近くにコンビニがあって、あそこのラーメン屋が美味しくて、裏の定食屋はまあまあで、
向こう側にドラックストアがあって、漫画が充実している本屋があって…、
局地的に知っている街角が日本全国にいくつもある訳だ。
そしてその風景は、どの街でもさほど変わらない。
そのどこにでもある街角が私をホッとさせてくれたりする。

おそらく多くのツアーミュージシャン達は、
それぞれの土地の観光スポットや名物といった事柄を殆ど知らないであろう。
高速道路のサービスエリアについての方がよっぽど詳しいだろう。

唄える舞台があり、逢いたい人がいて、共に音を出せる音楽家がいる。
それが私にとっての旅巡業である。
もっともっといろんな所に行きたいな。
もっともっとツアーしたいな。

其の壱百四拾弐 ~ぶらり、路線バスのひとり旅~

山田晃士 ~ぶらり、路線バスのひとり旅~
『灼熱の三叉路』ツアー中、スケジュールの関係で
2日間に渡り単独で行動する事になった。
共に廻っている塚本晃・近藤智洋と別れて
山田1人だけ宮古のイベント『希望の日』に参加する為である。
弘前へ向かう灼熱チームツアー車と盛岡駅で別れる。
“じゃあまた明日ね” 。
旅の中で別の旅が始まる。
ちょっと不思議な気分だ。

ここからがドキドキ。
まず宮古へ向かうバスのチケットを買う。
岩手県北バス・盛岡⇔宮古、ああ、これだこれだ。
売り場の人に、明日また盛岡に戻って来る事を告げると、
往復チケットが割引だと教えてくれた。
高速バスではない。いわゆる路線バスである。指定席などない。
それほど混まないらしく、席も確保出来た。
ギターとキャリーバックも下のトラックに入れてもらえた。
よし、ちゃんと乗れたぞ。
私としては旅人の気分なのだが、他の乗客に目をやれば、
日常の足として使っている方ばかりと見受けられた。
バスは駅前を離れると間もなく山道に入る。
国道106号線を川に沿って進むのだ。ずっとのどかな風景が続く。
2両編成のJR山田線が並行して走っている。
バスと電車なのに抜きつ抜かれつ、ほとんど同じスピードで宮古へ向かってゆく。
山景色の中、時折民家の群れが現れる。
するとそこで乗客が1人、降りてゆく。
素朴な感じの女子学生が1人、彼女が降りたのは2時間近く走った、とある集落であった。
そうか、毎日ここから学校へ通っているんだな。
他にも主婦らしい女性、親子連れ、普段着の年配の男性達が、
民家がある毎に1人、1人と降りて行った。
サラリーマンっぽい客は1人もいなかった。
ふむ、このバスはこの山間に住む人達の大事な足なんだな。
自分がもしこの地に生まれ育ったならば、ガレージシャンソン歌手をやっていたかな、
さだまさし方面を聴いていたんじゃないかな、いや、そもそも唄っていたかな、
なんて勝手な妄想を抱きつつ2時間半余りでバスは終点宮古駅に着いた。

途中、1度だけ道の駅でトイレ休憩があったのだが、許された時間はたったの3分。
急いで、焦って用を足したのが良き思い出となっている。

翌日も同じルートで盛岡へ戻り、そこからまたドキドキしながら青森行きのバスを探し、
チケットを買い、まあこちらは東北自動車道を走る高速バスだったので、
いつものツアーの風景と変わらず、3時間弱で青森に到着。
迎えに来てくれていた灼熱号に乗り込んだ時は何だかホッとした。
いつもの旅に戻ったのだ。

近い将来、マイクロバスかなんかで日本全国津々浦々を、
唄いながら、細かく廻れたら最高だろうな、なんて今私は思っている。

其の壱百四拾壱 ~昭和の少年達~

山田晃士 ~音量より音色~
その昔、少年時代のガレージシャンソン歌手にとって、
夏休みの愉しみの一つに“好きな女の子からの暑中見舞い”があった。
葉書1枚、たったそれだけで、いくらでも自分をアゲる事が出来た。
何回も何回も読み返してはニヤニヤしていた。
落ち込んだ時には勇気をもらった。
ず~っと取っておいた。

アブナイアブナイ。

当たり前だが当時はメールなどというモノが無く、
好きな女の子とコミュニケーションをとる場合にはまず会話、
でもそれが学校だったりすると悪友達に冷やかされたりするので電話、
でも自宅へかける訳で父親なんかが出た場合に
「何の用かね」とか言われちゃうのでちょっとかけずらい…。

そんな昭和の少年達にとって、理由も無く堂々と出せる手紙、
暑中見舞い・年賀状は非常に重要なツールであったのだ。

好きな女の子に出す暑中見舞い。
それは暑気を見舞う手紙の振りをして、その実
己の募る思いを滲ませる手紙にすり替わったシロモノ。
幾度となく下書きをして、自意識過剰の塊となり、
“ボクハキミガスキナンダ”という暗号文をしたためる。
可愛いのは葉書をポストに投函した時点である程度の達成感があるという点だ。
ひとまず自己完結するのである。
そして返事が返って来ようモノなら天にも昇る気持ちに。
先述の通り1枚の紙切れは少年の宝物となる。

はて、いにしえのガレージシャンソン歌手は一体どんな暑中見舞いを出していたのだろうか。
記憶にない。

先日、中学校時代の友人達と逢う機会があり、そこで暑中見舞い葉書の話になった。
私が恋心を抱いていた女性が「晃士からもらった暑中見舞い、よく憶えてるよ」と仰ったので、
恐る恐るどんな内容だったのか訊いてみた。
“僕はこの暑い中、部屋を閉めきって大好きなバンド『KISS』のレコードを大きな音で聞いています。もっと暑くなります。一緒に聞きませんか。”

………。

なんて素敵な少年だったのだろう…。
ちなみに宝物となった彼女からの返事の葉書だが、
おそらく現在は、実家の崩れかけたお蔵の土砂に埋まっていると思われる。

どんな文章が書かれていたのか、記憶にない。

其の壱百四拾 ~音量より音色~

山田晃士 ~音量より音色~
私の部屋の照明には調光スイッチがついている。
これは本来、光の強さを変える為のモノ。
だが、器具との相性のせいかスイッチの位置により“ジジジ…”と音を発してしまう。
私は往々にしてこの音に気付かずに部屋で過ごしているのだが、
ふとした瞬間、例えば本を読んだりしている時に一旦気になり始めると、
もう、うるさくてしょうがなくなる。
一秒前まで平気だったくせに。
スイッチを調節し音を消す。
「あ~静かになった」と胸を撫で下ろす。
気付かないというのは最も強い。

エアコンの風を循環させる為にサーキュレーターを【強】にすると大きな音が生じる。
部屋の温度は一定になるのだが“ボウ~”という音が部屋を支配する。
なので静音モードのあるサーキュレーターに買い換えた。
結果、部屋の温度はあまり一定にならない。
空調を取るのか静寂を取るのか、五感に優劣はつけ難い。

猫3匹と暮らし、しかも花粉症の私にとっての空気清浄機の【急】は頼れる味方である。
しかしこいつも“バオ~”と大きな音を発する。
なので【急】モードをしばらく起動させた後、【弱】にする。
これを繰り返している。
かなり面倒くさいが、猫との生活はやめられないし鼻のレーザ-治療はコアイ。

耳栓をしてみた。
頭蓋骨内に音が籠もり、圧迫感もあり、快適ではなかった。
大きな音でCDを鳴らしてみた。
ブレイクなどで無音になった瞬間、いつも以上に静寂が欲しくなってしまった。

河原のキャンプでは、どうして水の流れの音が気にならないんだろう。
一晩中、しかもかなり大きな音が鳴り響いているというのに。
その中で熟睡出来たりするのは何故だろう。

顔にピッタリくっついて寝る、愛猫ベラミーの、喉をゴロゴロ鳴らす音。
最初はうるさいと思ったが、馴れてしまえば、今や最高の子守歌である。
安眠へと誘ってくれる。

爆音でも心地よく響く音がある。
微音でも不快に響く音がある。

重要なのは音量じゃなくて音色だ。

因みに、ガレージシャンソン歌手は“いい音をデカく”がモットーです。

其の壱百参拾九 ~我が相方、コロコロ~

山田晃士 ~我が相方、コロコロ~
独り舞台がはねて、終電間際の満員電車にギター&大荷物を抱えて滑り込み、
乗り換えしたりして、周囲から迷惑がられ、やっとの思いで最寄りの駅に辿り着き、
そこから家までおよそ20分、最後のチカラを振り絞って、曲がりくねった坂道を登る。
ひとりぼっち。しんどいなあ。
唄うたいなんて、舞台から降りてしまえば地味で不様で滑稽だ。

真夜中過ぎ、しみじみしながら坂道を登る時、
キャリーバッグ=通称“コロコロ”が妙に愛おしくなる。
こいつの中には衣装・メイク道具・エフェクターボード・小道具・その他諸々が目一杯詰まっているんだ。
ギター以外の商売道具を全部運んでくれているのだ。
なんだか相方みたいな気がしてくる。隣を歩いている様な気分。
コロコロには公演1本1本の想い出が染みついてる。
だけど車輪の部分にかなりの重みがかかる為、まずそこから調子が悪くなる。
うまく回転しなくなるのだ。
思い通りに動いてくれないコロコロは辛い。
舌打ちして苛立つガレージシャンソン歌手。
何やってんだよぉ!とコロコロにクレームをつける。
するともっと動かなくなったりする。

そんな厄介さも含めて6年付き合ったコロコロと先日お別れしました。
どうにもこうにも車輪が動かなくなってしまったのでした。
どんなに愛おしくても公演後の坂道で登ってくれないのはかなり辛い。
ここまでだね、お別れだよコロコロ。いままでありがとう。

 

新しいコロコロはすこぶる調子がイイ!らっくち~ん。やっぱりこうでなくちゃ。
ああ、もっと早く買い換えればヨカッタ!

其の壱百参拾八 ~莫迦万歳!~

山田晃士 ~莫迦万歳!~
過去の自分を振り返ってみた時に“いったい何を考えていたのか?”と思う事が多い。
己から遠く離れて、己を対象として捉え、客観性をもって見れば、
そこに居るのは大抵莫迦な自分である。
莫迦な自分は調子に乗りまくっている。浮足立っている。周りが見えていない。鼻持ちならない。
だが後悔する訳じゃない。
そんな莫迦な自分の事を“まあ、しょうがねえな”と笑えたりもする。
若気の至り。そしてその若気はもう取り戻せない事を知るのだ。

実感として莫迦な自分を最も強く感じるのは10~15年前辺りだろうか。
その頃だと、現在の自分とも相通ずる部分があったりして、莫迦さ加減がリアルなのだ。
むむぅ、赤面…。
私の場合『欲望輪舞曲』を制作していた頃になるか。
プログレのCDを改めて買い漁り、様々なフィギュアを集め、ダークな書物を読み耽り、
スパイラルパーマをかけ、SMショップで鞭やコルセットを入手し、
舞台では四六時中ベロを出しまくっていた。
お尻を出した事もあったけ…。
卓上ミラーボールを回し、蝋燭を灯した。
不自然な程にデコラティヴな自分を演出していた。
程度を超えて。カッコイイぜ!

それ以上前の事となると、自分ではもう本当に“何を考えていたのか”まるで分からない。
実感を伴って莫迦だった自分を感じられるのは
PARISで『モノローグシアター』を制作していた辺り迄かな。
登園拒否児、担任の先生に初恋、中学受験、ギターを買って初めてバンドを結成、
女の子を知る、AROUGE,、ライブハウス、高校4年間、大学5年間、ドラクエで引き篭もり、
シンガーソングライターとしての目覚め、『ひまわり』でデヴュー、
…なんてもう他人事みたいな遠い面影。
その莫迦さには実感が伴わない。ただの莫迦としか言いようがない。

今の私も未来の私から見れば、調子に乗っているんだろうな。
浮足立ってるんだろうな。周りが見えてないんだろうな。鼻持ちならないんだろうな。
例えば“こうしくんとおねいさん”はいつまで続くのかな。
そしてそれも、長生きすれば、やがて他人事になるんだろう。

だからこの先も、過去の自分の莫迦さ加減を、面映ゆく、愛おしく、呆れながらも、
その時々の莫迦を続けていく私がいるのでしょう。
懲りもせずに、ナントカノヒトツオボエ。

本当に莫迦ですねい。

其の壱百参拾七 ~莫迦話~

山田晃士 ~莫迦話~
うまくやった奴もいれば、しくじった奴もいる。

幸せな家庭を築いている奴、三度離婚をしている奴、管理職の奴、リストラされて無職の奴、
余裕のある奴、カツカツの奴、借金を抱えてる奴、健康な奴、病を背負っている奴、
老けこんだ奴、若づくりの奴、カミングアウトした奴、明らかにパーツをいじった奴、
しっかり根を張ってる奴、蒸発した奴、滾ってる奴、枯れた奴、
そして既に雲の上に逝った奴。

十代前半から二十代前半にかけて同じ時を過ごした顔ぶれが集う。
互いが互いの恥ずかしい過去を山程知ってる。
以前はそういった集まりに何だか照れくさくて顔を出せなかった。
でも最近は純粋に再会が嬉しい。柄じゃないが、これも年齢の為せる技なのか。

立場はまるで違う。みんな日常ではいろんな顔を持ってる。
でもそこから遠く離れて、なにも持ち寄らず、何も持ちかけず、莫迦話に花を咲かせる。
“三つ子の魂地獄まで”とはよく言ったもので、そいつらしさが滲み出てくる。
あの頃のヒドイあだ名は健在で、豪快な奴は豪快だし、いじける奴はいじける。
性質(タチ)は隠せやしない。

莫迦話が出来るって素晴らしい。それを知っているから腹から笑える。
その刹那、私たちは阿呆になる。空っぽだ。至高のテーマパークだ。
心底くだらない時間を過ごそうじゃないか。宴が終わるまでは。

うまくやってる奴もいれば、しくじった奴もいる。

明日のお日様は昇るだろうが、関係無いんだ。

其の壱百参拾六 ~近所を歩く~

山田晃士 ~近所を歩く~
ゴミを出す。近くのコンビニに行く。ポストに葉書を投函する。
そんな時、私はフラッと部屋着のまま外に出てしまう。
だって着替えるの面倒だもん。
フリース、もしくはスウェット。そしてKEENのサンダル。
楽ち~ん。
……果たしてそれで良いのか、ガレージシャンソン歌手。

ここ最近、歩いて5分くらいの整骨院へ通っている。
やはり通うならば家の近くが一番。
週に3~4回のペースで通っている。
整骨院までの道は人影もまばらだ。大きな交差点を一つ渡るだけ。
かといって誰とも会わない訳じゃない。少なからず数人とはすれ違う。
診てもらいやすい恰好、殆どパジャマに近い恰好で、てくてく歩いて行く。
髪はややウェーブがかった長髪、バッグも持たず手ぶらで、
世間の皆様方が働いておられる時間に、オテントウサマの下を往くオトコがひとり。
傍から見ればちょっとヤバいんじゃないか。
時折ハナウタ唄ってるし。
道行く人達、御婦人・女子高生・親子連れ・サラリーマン…等々に私は見下される。
皆さん、私に一瞥をくれられる。
そしてその度に私はちぢこまるのだ。
体は伸びるが心は縮んでいく、そんな日々である。

最近それも快感になってきた。
どんどんちぢこまってボクハゾウリムシ、ボクハミトコンドリア、な気分を満喫している。

時折楽屋で、共演者達と笑いながら
“お互いに化粧してないと道で逢っても気付かないよね~”なんて話したりする。
余談だが私が15歳の時に、とある場所でお目にかかった沢田研二さんは、
髭面でラフな格好をされており、一見誰だか分からなかった。
それが妙に恰好良かった。
でもまあ、何てったって、ジュリーだからね…。

ゴミを出す。近くのコンビニに行く。ポストに葉書を投函する。
そんな時、私はフラッと部屋着のまま外に出てしまう。
今の所、ベルトを締め、ブーツを履き、ボタンを留め、髪を整え、近所を歩く事はない。
私がガレージシャンソン歌手の佇まいになるのは舞台の上なのである。

だって面倒なんだもん。

其の壱百参拾伍 ~補充と無駄遣いの狭間~

山田晃士 ~補充と無駄遣いの狭間~
嗚呼!補充の血が騒ぐぜ。
無くなる前に買い足しておかなきゃな。

ガレージシャンソン歌手の商売道具は何かと消耗品が多い。
まずメイク道具、こいつが割とお高い。
それからギターの弦をまとめ買い。
ツアーに行くなら新しいパンツと靴下を。
公演を録音する新しいレコーダーも買わなきゃな。
すると、そろそろトップハットも新調したい、
エナメルの靴も履き替えようか、
新しいマイクとスタンドを、
ギターケースも軽くて丈夫なヤツを…という具合になってくる。
ヤバい。欲望が抑えきれない。歯止めがきかないぜ。

日常生活においてもいろいろと物入りだ。
アレルギーの薬は常に確保しておかなきゃいけない。
お気に入りの1・3mmのシャーペンの芯(2B)も大事。
ボールペンのゲルインキの替え芯も買っておこう。
壁にいろいろ貼れる〈ひっつき虫〉も少なくなってきた。
それじゃあ、エネループの電池ももっとあった方が便利だし、
システム手帳の無地のメモ用紙も色違いでさ、
そうだ、気になってた針を使わないホチキスも便利だな、
ラミネーターのフィルムも違うサイズがあるといいな、
電気シェーバーも新しくしちゃおうかな、
ドライヤーももっと風量が強力なヤツが欲しい…という具合になってくる。
ヤバい。欲望が抑えきれない。歯止めがきかないぜ。


今、私の部屋にはウェットティッシュが8箱ある。


嗚呼!補充の血が騒ぐぜ。
無くなる前に買い足しておかなきゃな。

其の壱百参拾四 ~辰から巳へ、働け!ヘビ年生まれ~

山田晃士 ~辰から巳へ、働け!ヘビ年生まれ~
あれよあれよと年が明けた。
昨年末は22日から旅巡業に出発。
姫路・広島・岡山2日間・初の四国は高松・京都、と廻り、戻ってきて大晦日に下北沢。
年が明けて3日に吉祥寺・5日に西荻窪、と年末年始、私は舞台に立っていた。
殆ど毎日。
いやあ、唄うたい冥利に尽きるなあ…。嬉しいなあ…。
まったくのんびり出来なかったよ、マネージャー。
もともと生演奏は好きだからね、マイクの前に立ってナンボのオトコですから。
マイクの前にいない時はただの駄目人間。
こうやって舞台が続く日々というのは、其処にむかって生きられるから。
嗚呼、素晴らしき哉、唄うたい人生。
クリスマスも年の瀬も正月も舞台に立てて嬉しかったです。

年末の旅の後半、マネージャーが都合で先に帰り、
ギター・福島バモス久雄とアコルデオン・田ノ岡三郎と私の3人で行動した3日間があった。
これがなんとも味わい深かった。
とにかく2人は自由な生き物で、
私が思うにバモちゃん・サブちゃんはオトナの知識を持った小学3年生。
自分に素直。
だから私も小学3年生になりましたよ。愉しかったなあ。
本当にコドモ同士の旅行だったね。
でも勿論、仕事としての側面もあるから、そこは誰かがピシッとやらないと。
おそらく今まで学校の先生だったマネージャーがいなくなってしまった時、
私は友達になったり、先生になったり、変身しまくりの3日間でした。
変な疲れ方をしました…。

独り舞台~トリオ~独り舞台~流浪の朝謡~独り舞台。
私の年末年始は唄うたいとして大充実でした。
そして正月気分は微塵もなく、ガレージシャンソン歌手はトシオトコになりました。
今年は更に執念深く唄います。
にじりにじりと。とぐろを巻いて。
覚悟したまえよ。